アメリカのオバマ大統領が4月にプラハで行った演説で、「核兵器を使用した唯一の国として、アメリカには核兵器廃絶を実現する道義的責任がある」と明言したことは、画期的なことでした。これまで、原爆投下は日本に戦争を終わらせるための手段であったと正当化していたあのアメリカの大統領が話したと言う事実に、核兵器廃絶に向けての起点になるのではないかという機運を感じます。
オバマ大統領は学生のころから「核兵器のない世界」を志向し、「核攻撃に対してそれ以上の核を持つことで、抑止力になるというゆがんだ理論が、アメリカの軍需産業を支えてきた」という評論を書いていたそうです。高校時代には、社会科の授業で原爆のことを学んだ折に、広島と長崎の場所を地図で確認することもしたことがあるという話を読んだことがあります。若いころに、原爆について学んだことがあるという経験が、あのプラハでの演説の原点になっているような気がします。
アメリカのコネチカット州の大学で2,400人を対象に「原爆投下は間違っていたと思うか」というアンケートを行った結果を見ました。間違っていたと思うと答えた人の割合は、55歳以上では19%、35歳〜54歳では23%、34歳以下の人たちでは32%と年令が若くなるにしたがって「原爆投下は間違いだった」と考える人の割合が高くなっているという結果になりました。まだまだ、アメリカでは原爆投下は正しかったと考える人たちが多数を占めることは否めませんが、原爆の恐ろしさを訴え続けることは原爆を投下された国の人間として当然のことです。若い世代に、原爆の、そして戦争の恐ろしさを伝えていくことは、私たち大人の義務です。
先日、修学旅行で沖縄に行ってきた高校生が、ひめゆりの塔やガマに行って、戦争がどんなに悲惨なものであったかを、心から感じたと話してくれました。事前に学習したり、調べたりしたけれども、実際に行ってみて、もし戦争が起きたら、まずいちばんに影響を受けるのは自分たちの世代なのだと痛感したそうです。若いときに、体験し、考える機会があることの大切さを、高校生の話を聞きながら改めて痛感しました。