福島とチェルノブイリ   低線量被ばくについて   京大原子炉実験所助教 今中哲二さんの講演会より

2012年10月30日 19時48分 | カテゴリー: 活動報告

福島とチェルノブイリの原発事故の違いは、チェルノブイリの場合は、原子炉そのものが爆発、福島の場合は炉心溶融(メルトダウン)だったことでした。その結果、チェルノブイリでは溜まっていた放射能がほとんどそのままの組成で放出されました。そのため、ストロンチウムやプルトニウムなどの汚染が広まったのです。福島の場合、高温で炉心が融解し、セシウム、ヨウ素などのようなガス状のものおよび揮発性の強いものがどんどん放出されました。ストロンチウムやプルトニウムについては、今中さんが飯館村で採取した土壌を大学や環境関係の協会に依頼して測ったところ、ストロンチウムはセシウムの2000分の1から3000分の1、プルトニウムについては1000万分の1だったとのことで、被ばくについてはセシウムを中心に考えてよいという話でした。

 3月15日に起きた水素爆発は、燃料棒の鞘を作っている金属のジルコニウムが高温になった水と反応して酸化し、水素が分離されて水素ガスが建屋の天井に溜まったために起きました。10時~11時くらいには南風にのって東京方面に、午後には風向きが変わって飯館村から福島市の方向に流れました。この時、飯館村は雪、福島には雨が降っていたために放射性物質のかなりの量が地面に落ちてしまったのです。

チェルノブイリでは最初の大爆発で放射能が大量に放出された後も、1週間から10日間火事が続きずっと放射能が出ていったのです。最初に爆発が起きた4月26日から2日後、スウェーデンで放射能感知器のアラームが鳴りだし、スウェーデン政府がソビエト(当時)政府に問い合わせたという話もあります。事故後2日目の夜モスクワ放送で「事故がありました」以外に何の報道もないままでした。原発の隣町の住民5万人は翌日バスで避難させられましたが、他は1週間ほど放置され、その後原発周辺半径30kmの7万人、次いで2~3週間かけて合計12万人が強制的に避難させられたのです。現在の立ち入り禁止区域は3700㎢、東京都の1.8倍の面積、汚染地域(1㎡当たりセシウム137が37000Bq=1キュリー以上)は14万5000㎢、本州の6割にも相当します。

 子どもたちのがんについてはウクライナでは、これまでに6000人の子どもが甲状腺がんになりました。ベラルーシやロシアを合わせると1万4000人以上になります。原因はヨウ素でした。牧草に溜まったヨウ素を食べた牛の牛乳を飲んだ子どもたちに影響が出ました。福島の事故でもヨウ素は大量に放出されました。今中さんの話では、ベラルーシの事故から15年後の子どもたちの内部被ばく量は、体重1kg当たり300~1000Bqあったことと比べて、福島の子どもたちは体重1kg当たり10Bq以下で、それほど大きなリスクではないと考えているとのことでした。ただ、いまだに、どこにどれだけのヨウ素が降ったのかわからないのに、「特に心配ない」と発言する甲状腺がんの専門家がいるのは信じられないとも言っていました。

福島の事故で海側には、プルトニウムもストロンチウムも流れた可能性があり、海底に溜まった放射性物質を食べたヒラメやカレイが移動すると放射能も移動することになること、回遊魚はもともとミネラルを多く摂取しているので、セシウムは排出されるが、淡水魚はそうはいかないだろうということでした。ただ、今の日本では、食べ物に関しては、生産者・流通業者・消費者がそれぞれに気を遣っているので、そう大きな被ばくをもたらす量にはならない、しかし、子どもたちは感受性が強く放射能の影響を受けやすいことははっきりしているし、何よりこれから長く生きていかなければならないのだから、被ばくは、できるだけ少なくすることは当たり前のことだとも仰いました。

 もともと、東京では自然の空間放射線量が0.05μSv(マイクロシーベルト)程度あったのだそうです。福島の事故以降はそれが0.07~0.09μSvになった、これは明らかに事故によって余分に上乗せされたものです。江戸川区では、篠崎公園にあるモニタリングポストの数値をみると、0.10~0.12μSvと都内では高い値です。福島後の汚染はこれからも続くのです。セシウム134の半減期は2年ですから、福島の事故後2年で下がるでしょうが、セシウム137は30年ですから、その後は本当にわずかずつしか減らないのです。何度も書きましたが、放射能汚染とは今後長い付き合いになります。低線量被ばくという、未曾有の事態に私たちは、どんなに被ばくが少なくてもそれなりに影響があるという立場で考えていかなければならないこと、放射線量を表す数字に馴染んで、自分で決めていかなければならないことを再確認した講演会でした。