知っていますか? 裁判員制度

5月21日に始まります。

初めて裁判員制度の学習会に参加しました。手続きから始まって、評決にいたるまで、思いもよらなかったことに、いろいろ考えさせられました。

選ぶ手続きとしては、まず地方裁ごとに、次の年の裁判員名簿を作ります。名簿に載った人には通知されます。そして事件ごとにくじで裁判員の候補者が選ばれます。(1事件につき50人ほどが選ばれます。)選任手続きの日には、裁判所へ行って面接を受けることになります。
呼び出された候補者は、裁判長からいろいろな質問を受けます。氏名、生年月日、職業などのほか家族構成、学歴、信仰、健康状態など細かく聞かれます。政治・思想関連のものもあります。趣味、読んだ本、尊敬する公人などのほかに、たとえば、「好きな政党は?配偶者の方はどの政党が好きですか?」「政治的活動をしたことがありますか?」「死刑制度を必要と思いますか?」など、かなり答えにくい質問もあるようです。裁判員候補に黙秘権はないので、すべて、正直に答えなければなりません。虚偽回答は50万円以下の罰金だそうです。
候補者を選ぶときは、裁判官と、弁護士、検察官の3人で選びますが、面接後に4人を限度に候補者を不選人請求でき、残った候補者のなかから裁判官が原則6人を選びます。
裁判員制度では、実際の裁判の時には、プロである裁判官3人と選ばれた裁判員6人が評議します。評決は多数決になります。有罪・無罪の評決では、裁判官・裁判員の最低1人はその評決に賛成しなければ成立しません。わかりにくいのですが、たとえば裁判員全員が無罪であっても、裁判官が全員有罪であれば、6:3ですが成立しないことになります。このとき、裁判官の1人が無罪と判断すると7:2になり無罪は確定します。

アメリカの陪審員制度と比べてみると、まず陪審員制度は12人の市民だけで有罪か無罪かの評議をします。全員一致が原則です。刑量を決めるのは裁判官です。まとめ役は必要ですが、プロの裁判官は評議のときはノータッチです。まったくの素人である市民が証人や弁護側、検察側の話を聞いて議論するのです。もともと、民主主義は徹底的に議論をすることが前提で、多数決は最後の手段としてあるものでした。数の論理などと言う方がいますが、多数決そのものは民主主義の根幹をなすものではありません。しかし、裁判員制度では、裁判官と裁判員の合議体で審理し、最初から多数決ありきなのです。私が、裁判員になったとしたら、プロである裁判官の言うことに「ちょっと待ってください。それは違うと思います。」と言えるかどうか・・・まして、裁判員制度が対象にするのは、殺人罪、身代金目的誘拐罪、強盗致死傷罪などの重罪犯罪です。
市民が裁判を身近に感じるように、迅速にわかりやすくなどと言われていますが、裁判員は評議した内容を誰にも言えませんし、ましてや裁判員として市民が評議した裁判について議論することなどできない、これでは「市民に開かれた裁判」とは言えません。もし、裁判員になったら、「もっと慎重に考えるべきだ。」「感情的にならずに犯罪の背景事情に着いて充分な討議を」と勇気をもって言える自立した1人の人間であることを自覚して臨まなければなりません。